難病「魚鱗癬」を患う息子を産んだ若き母が世間の視線(見られる差別)と戦いながら抱きしめる瞬間!
難病を持つ我が子を愛する苦悩と歓び(17)
◆踏み出す半歩
陽(よう:我が子)が産まれて1か月半を過ぎた頃、医師からベッドの移動を提案された。
陽のいる病院は、次々と、千グラム程の赤ちゃんが誕生する。
生きようと頑張る小さな命を、先生方が懸命に守っている。
そんななか、陽はNICU(新生児集中治療室)の1番奥で、誰よりも場所をとっていた。
すでに体重は2500グラムあり、呼吸も落ち着いている。
常に感染症の恐れはあるが、無菌カプセルに守られ、つきっきりで一分一秒を争うほどの状態ではもうない。
ということで移動の話がでた。
そのとき、先生は言葉に詰まらせながらこう言った。
「移動した先では、他のお母さんたちに見られることがあります」
「精一杯、見えないようにパーテーションなどで対応はしていこうと思いますが、完璧に見えないようにすることは不可能です」
「それでもよろしいでしょうか」
「もし嫌なら、そう言って下さい。それならまた別の方法を考えます」
急なことだったため、すぐに返事をできないでいると、傍にいた看護師さんが私の腰に手を当てて、
「お母さん、無理しなくていいよ」
「嫌なら、正直にそう言ってね」と優しく声をかけてくれた。
見られる。
これまでにも何度か、処置をする際、パーテーションを開けて行うことがあった。その時、面会にきていたお母さんたちが陽の姿を見て、なんとも表現しづらい表情をしていた。
夫婦で面会にきていた人は、陽を見てヒソヒソと話していた。
正直に言えば、嫌だ。
そんな目で見られなくない。
これが本音だった。
だけど、言えるはずがない。
陽のすぐ傍(かたわら)では、まさに今、この時を生きたいと、小さい体で踏ん張る赤ちゃんがいる。
その姿を見てきているから、言えるわけない。
言えるわけがない。
見られること。
それは陽にとっても、私にとっても、これからずっと続いていくこと。
一生続くこと。
もういい加減、腹をくくらなければならない。
半歩でも踏み出さなければ、この先もきっと、踏み出すことができない。
「移動して下さい」
「私たちは大丈夫ですから」
そう自分に言い聞かせるかのように言った。
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KEYWORDS:
産まれてすぐピエロと呼ばれた息子
ピエロの母
本書で届けるのは「道化師様魚鱗癬(どうけしようぎょりんせん)」という、
50~100万人に1人の難病に立ち向かう、
親と子のありえないような本当の話です。
「少しでも多くの方に、この難病を知っていただきたい」
このような気持ちから母親は、
息子の陽(よう)君が生後6カ月の頃から慣れないブログを始め、
彼が2歳になった今、ブログの内容を一冊にまとめました。
陽君を実際に担当した主治医の証言や、
皮膚科の専門医による「魚鱗癬」についての解説も収録されています。
また出版にあたって、推薦文を乙武洋匡氏など、
障害を持つ方の著名人に執筆してもらいました。
障害の子供を持つ多くのご両親を励ます愛情の詰まった1冊です。
涙を誘う文体が感動を誘います。
ぜひ読んでください。